平成22年2月28日(現地時間) |
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私の今日の服装は、「言を担いで」昨日と同じTシャツとスラックスを着て会場に出発し、ホテルからバスにて11時半過ぎに会場の「リッチモンドオリンピックオーバル」に着きました。今日は、昨日より観客の列が長く、入場に若干長く懸かったような感じであった。厳しいチェックを受け会場に入ると既に熱気が漂っていた。多分、地元カナダの男子チームが準決勝、優勝決定戦に出場するからかなと思いました。応援団の席は、昨日と同様に2組に分かれてしまい、12人揃っての応援が難しい状況でした。しかし、それぞれは持参の赤い帽子、白いヤッケ姿で、バルーン、メガホン、日章旗と両選手の名前の書いた看板4枚ずつ持っての応援です。
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いざ準決勝 |
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最初のレースが12時半に女子の団体パシュートの1組がスタートです。日本の相手は格下(9位)のポーランド、絶対に勝ってくれると信じつつ、はらはらどきどきの応援となりました。レースは常に先手を取っていた感じで、昨日ほど差が開くことなかったが、大声で「行けー」「「行け−」の連発でした。 ゴール!! 結果は100分の18秒差での勝利となった。
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ポーランド戦(1) |
ポーランド戦(2) |
ポーランド戦(3) |
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これで念願の五輪のメダルが確定、特に、田畑にとっては悲願とも言えるメダルであったと思うと目頭が熱くなりました。直後、富山で応援の社長と感激の電話をし、勝利を伝えました。「会社では大変なことになっているよ」と言われ、非常にうれしそうでした。これで、メダルが確定したから、少しは気楽に優勝決定戦までを過ごせたような気がしていました。
14時12分3位決定戦が開始、ハプニングが発生、日本に負けたポーランドが逆転で3位になってしまった。リードしていた対戦相手の米国の3人目が大きく遅れたためです。パシュートにはハプニングが起きる種目である。準決勝のドイツも最後の選手がゴールに倒れ込みかろうじて優勝戦へはい上がったのだから、日本も強豪のドイツではあるが、可能性は大いにあると感じた。
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決勝前 |
決勝のスタート |
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いよいよ、決戦、ボルテージは上がりっぱなし、ここまで来れば「金だ、金だ」と気勢を上げ、スタートを固唾を飲んで見守りました。一瞬の静寂を破り「バーン」との音に、選手達が走り出し、応援団は一斉に力一杯の声を張り上げての応援でした。一時は1秒70程の差までのリードに「速過ぎる」との心配をよぎったが、大丈夫、大丈夫と言い聞かせ、応援を続けました。
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ドイツ戦(1) |
ドイツ戦(2) |
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しかし、悪い予感が当たったのか、最後の半周に僅かに100分の2秒、逆転され、一瞬、銀メダルと言うより、あと少しで金メダルだったのにとみんなで悔しがりました。が、すぐに思い直し、期待を遙かに超える素晴らしい「銀メダルであった」と喜びを分かち合いました。目の前に来た選手達には応援団から「おめでとう」「有り難う」「良くやった」と目の前に来た田畑、穂積選手に声をかけました。特に、田畑選手の笑顔を見られて、良かったと言うかホットした気分になりました。これまでの大きな苦労が「銀メダル」という形になって、大きな勲章、本当に良かったからです。
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結果 |
田畑選手の笑顔 |
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当社の会長、田畑、穂積両選手の両親にも会い、握手で喜びを分かち合える事が出来ました。多分、今頃は、日本、富山、会社では大変な騒ぎになっているのだろうなぁと思うと直ぐにでも帰りたい気持ちで、何とも言いようのないうれしい気分の帰りのバスの中でした。
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メダルの授与式 |
スクリーンの映像 |
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富山の小さな会社に勤める一社員として、この大きな感動の場面を現地で、しかも「メダルの瞬間に生で」立ち会えたことに、大きな感動と感謝をすると共に改めて選手達に「有り難う」を言いたいです。多分、会えるのが4月の入社式には会社に来た時、今から会えるのを首を長くして待っています。
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バスの中での万歳 |
応援団全員 |
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